私が税理士になろうと本気で考えだしたのは社会人になってからです。当時私は銀行員として働いていましたが、銀行員としての限界を感じていました。
銀行員を辞めて資格試験を目指したのは、私の人生における最大の分岐点です。退職するときは多くの人にどうして安定した職を捨てるのかと言われました。
なぜ銀行員を辞めて税理士を目指したのか。銀行員を辞めて税理士に合格するまでの経緯を振り返っていきたいと思います。
銀行に就職
大学卒業後、私は銀行に就職し社会人生活がスタートしました。
なぜ銀行に就職したのかは自分でもよく分かりません。たまたま内定が出たのが銀行だったのと、親も銀行で働いていたことで身近に感じていたのが理由かもしれません。
とはいえ、社会人生活をスタートするにあたり私はワクワクしていました。大学時代は部活動に明け暮れ、バイトもろくにしていなかったため、社会との接点がほとんどありませんでした。仕事とはどういうものなのか興味がありました。
大学時代は会計や経営学を勉強していたので、いろいろな会社を見れる銀行業務には関心がありました。
銀行に就職して異変を感じたのは、新人研修が終わり営業店に配属になったあとすぐのことです。
営業担当の先輩方が役職や上司に毎日のように怒鳴られ詰められています。職場の空気が殺伐としています。
「おいおい、こんなところで働かなあかんのかよ」というのが最初の感想です。
当時は総合職の育成方針が決まっており、1年目はジョブローテーションで預金業務や営業補助の仕事を経験し、2年目から融資担当として法人営業を行うことになっていました。地獄を味わうのは2年目になって営業を行うようになってからです。
挫折
営業担当者には、融資額や預金額、クレジットカード契約件数など膨大な目標が毎月課せられます。いわゆるノルマです。
私には営業の適正がありませんでした。毎月ひいひい言いながら数字を達成しようとしますが、ほぼ達成できません。
銀行で営業成績が達成できない者への扱いはすさまじいものがあります。融資担当だった期間は人生で一番怒られた期間です。
ここでは書けないくらいの強烈な言葉を浴びせられたことも多々ありました。
慣れとは恐ろしいもので、毎日毎日詰められていると次第に何も感じなくなっていきます。どんなにぼろくそに言われても何も感じないのです。人間の心を失ってきているのだなと他人事のように感じていました。
数字至上主義のような社風であったため、数字の達成は絶対でした。数字を詰められているのは営業担当者だけではありません。
課長や次長、支店長……。立場は違えど、上席から圧力をかけられていることに変わりはありません。
この会社で働き続けている限り、数字の呪縛からは逃れられないと感じました。定年まであと30年以上あります。気が遠くなりますね。
詰められる立場はきついですが、詰める立場になるのもきついです。
20年後課長になった自分が、右も左も分からない部下を詰めている姿を想像してみます。私にはできる気が全くしませんでした。
定年まで働き続けるのは到底無理だと感じたので方向転換することにしました。
石の上にも三年という言葉があります。苦しいのは自分が未熟なだけで経験を積めばまた考えが変わるかもしれません。まずは3年がんばって働こうと思っていました。
しかし、3年経っても変わる気配はありませんでした。日に日に人間の心を失ってきているような気がします。そろそろ辞め時かなと感じました。
別の道を模索
銀行を辞めることは決めました。しかし、銀行を辞めたあとどうするかは決めきれずにいました。
大学時代に就職活動をして痛感していることがあります。外から見た会社と中から見る会社は別物ということです。いくらOB訪問などをしたところで会社の実態なんか分かりません。
多くの人がホワイト企業と考えている会社だったとしても、自分にとってホワイトかどうかは入社してみるまで分かりません。
自分にとって心地よい環境かどうかは、職場の人間関係によって決まる部分が大きいです。自分が配属される部署や上司、一緒に働く同僚など不確定要素が多くほとんど運です。
転職活動を行えばどこかの会社は採用してくれるだろうという自信はありました。しかし、自分の人生を左右する職業選択を運要素に委ねることに恐怖を感じました。
合わなければ辞めればいいという考え方もありますが、一度入った会社を辞めるのは結構面倒です。3度会社を辞めたことがある私が言うのだから間違いありません。
そう何回も転職するのは現実的ではありません。実力がない状態で転職を繰り返しても、幸せな未来が待っているとは思えませんしね。
資格を目指す
私は文系なので専門性などあってないようなものです。文系の大学なんて、どこの学部を出ていようが大して変わりません。
総合職として入社したあとどのようなキャリアプランになるかは会社次第です。全国転勤のある会社であれば、数年後どこで働いているか見当もつきません。
自分の人生を決めるにあたり、自分のキャリアが会社の方針によって左右されるのを受け入れるのは、あまりに無責任なように感じました。
自分のキャリアは自分で決めたいです。そのためには自分の武器を持つしかないと思いました。
文系なら難関資格を取得するしかないと思いました。これしか思いつきませんでした。
税理士か公認会計士にしようと決めました。私は経営学部出身なので、一番身近な資格が会計系の資格でした。
もともと税理士には高校のころから興味がありました。なんとなく名前がかっこよかったからです。
正直、当時は税理士と公認会計士の違いがよく分かっていませんでした。数字に関する仕事をしているのかなくらいの感じです。
公認会計士に合格すれば税理士登録をすることができます。よく分からないが選択肢が広いのは公認会計士だと思いました。
資格取得後のことは合格してから考えればよいのです。受験前にあれこれ考えても具体的なイメージはわきません。
私は銀行を退職したら受験専念で勉強するつもりでした。自分の性格的に働きながら長期計画で勉強するのは無理だと思ったので、短期勝負で行くことにしました。
また、違う道に進むなら30歳までには再スタートを切りたいと考えていました。貯金にも限りがあるため、3年間受験専念して決着をつけようと考えました。
3年やってダメだったらそのとき考えよう。私は公認会計士を目指して退職しました。
受験専念
退職後、私は実家に戻り資格試験の勉強を開始しました。
実家は三重県伊勢市のため、近くに公認会計士の専門学校はありません。一番近いのが名古屋です。片道2時間です。
私は通信教育が苦手で最後までやり遂げられたことがありません。強制的に勉強せざるを得ない環境に身を置かないとできないタイプです。そのため、名古屋まで通うことにしました。
私は大原の公認会計士1年コースに入学しました。授業は週6コマあるなかなかハードなコースでした。
朝3時間の講義を受け、午後から18時ごろまで講義の復習と自習、行きと帰りの電車の中ではテキストを読む。そんな生活が永遠と続きました。人生で一番勉強した期間です。
仕事を辞めた直後でモチベーションが高かったため、勉強は結構楽しかったです。試験勉強を開始して6か月後には日商簿記1級に合格することができました。
大学院進学
三重は人口180万人の東海地方にある県です。私の生まれた伊勢は三重県の中でも南部に位置し、田園が広がるのどかなところです。
地方の特徴として地域のコミュニティが狭いというものがあります。電車に乗っていると知り合いによく会います。
良い年をした大人が平日に私服で電車に乗ってると当然聞かれます。
「何してるの?」
なかなか答えづらい質問です。26歳の資格受験生に対する世間の風当たりは強いです。
無職がだんだん辛くなってきたのと、会計専門職大学院(アカウンティングスクール)を修了すると公認会計士試験の短答式試験で科目免除が使えるのを魅力に感じ、大学院に進学することにしました。
ひとりで勉強するのは結構孤独で、モチベーションを維持するのが大変です。大学院で資格を目指している優秀な仲間たちと一緒に勉強したいと思いました。
人間は所属している環境の影響を受けやすいので、資格に合格したいのであれば、そういう人がたくさんいる環境に身を置くのが一番の近道と考えていました。
税理士を目指す
会計専門職大学院(アカウンティングスクール)は、基本的に公認会計士を目指す人のための大学院です。
専門職大学院のため修士論文は必修ではありません。しかし、修士論文を書きたい人向けに、選択必修で修士論文を作成するためのゼミナールがありました。
1年の夏ごろにゼミの選考があり、選考に通過すると晴れてゼミ生としての活動が開始される仕組みになっていました。1年半のコースです。
私の大学院では、税法のゼミもありました。税法の論文を書くと、税理士試験の税法科目が2科目免除になります。
私の大学院ではそれまで税法免除の実績はありませんでしたが、今まで申請した人がいなかっただけで、免除は可能とのことでした。
関連記事>>>税理士試験で税法免除を選ぶ理由。会社員を辞めて大学院に進学した体験談
当時私は公認会計士の勉強でかなりの苦戦を強いられていました。
公認会計士は税理士とは違い、1回の試験で複数科目を受験しなければなりません。仕事をしながら試験に受かるのは普通の人ではほぼ無理です。残念ながら私は普通の人です。
受験専念できる期間は残り1年半です。果たしてそれまでに合格できるのかかなり不安でした。
そんな中、税法のゼミの選考をクリアし、税法の修士論文を作成することができるようになりました。税法免除はかなり大きいです。
公認会計士の受験を続けるか税理士受験にシフトするか迷いましたが、私に残された時間を考えると税理士受験が現実的に感じました。
公認会計士試験の財務会計論は、税理士試験の簿記論や財務諸表論と範囲が重なっているため、勉強が無駄になることはありません。
紆余曲折を経て税理士合格を目指すことにしました。
税理士合格
大学院在学中に財務諸表論、消費税法に合格することができました。修士論文も作成したので、残りは簿記論だけです。
大学院卒業後は会計事務所に就職しました。貯金が尽きたので働かざるを得なくなりました。
簿記論の受験は3回目です。受験3回目にもなると新しく覚えることはほとんどありませんが、勉強しないとすぐに忘れるので、問題演習を中心に対策しました。
働きながらの勉強は大変でした。
会計事務所での仕事は覚えることが多く頭を使います。家に帰ってきてから簿記の問題を解くのは、かなりの精神力が必要でした。
最後に残った科目が簿記論でよかったです。税法科目が残っていたらかなり厳しい戦いになっていたと思います。働きながら勉強している人は本当にすごいと思います。
なんとか再就職1年目で簿記論に合格し、官報合格となりました。
最後に
銀行に就職してから税理士試験に合格するまでを振り返ってきました。約3年半の受験生活でした。
税理士試験に合格したことで、自分の可能性を広げることができました。
現在、独立できているのも税理士試験に合格できたからです。
税理士になったことが正解だったかは分かりませんが、きっと後悔はしないだろうと思っています。